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MNTSQエンジニアとして、Win-winに社会をフェアにしていく

イントロ

はじめまして、森山凪と申します。
MNTSQ(モンテスキュー)にソフトウェアエンジニアとして入社しました。

私は以前の職場で仕事に脂が乗り、自己効力感高く働いていました。
自分でも組織に貢献できている実感があり、四半期毎に必ず昇給という評価をいただいておりました。
奇跡的に毎月の残業時間も1桁を維持しておりプライベートも充実した生活を送っていました。
そんな自分がなぜMNTSQへの転職を決意して、今後何をしていきたいのか。
それを入社エントリーとして記事にしました。

記事の概要

自分のキャリアを心境の変化と合わせて書いていきます。
私はMNTSQが4社目の会社です。
1つ1つの会社の在籍期間が短く、周りからはジョブホッパーと言われています笑。
ただ意図的に短期間の転職を選択した訳ではなかったです。
機会に恵まれたり、転職せざるを得ない場面もあり転職を繰り返しました。
その中で様々な心境の変化があってMNTSQに出会い、ご縁をいただきました。
どんな人間がMNTSQに興味を抱いて入社しているのか。その一例として見ていただけると幸いです。

新卒でSIerに入社

研修直後から5GのIaaS環境を構築するプロジェクトにジョインしました。
当時の自分はITの世界を全く知らず自分が役に立てる場面は1mmもなかったものの「5G!最先端!」と心が踊りました。
仕事を通して徐々に知識を吸収し始めましたが早く理解したい、成長したいという思いもあり通勤中に技術書やビジネス書籍を読むようになりました。

(キャリアの話からは少し寄り道、マインドの話)
夏の朝の山手線は地獄でした。
圧迫死しそうな混雑 + 蒸し風呂状態でした。脇を締めて顔に本があたる距離で読書していました。
その時にふと思いました。「なぜこんな満員電車で毎日スーツで通勤しなくちゃならないんだろう。リモート勤務ができたらいいのに。よく考えたら意味のなさそうな会議も沢山あるし、この生活に耐え忍ぶ価値はあるのか...…?」学びたい、成長したい意欲はあるがそれの邪魔になりそうなものが目にとまるようになってしまいました。
新卒で生意気にも身の回りの環境に対して不満がたまっていました。

そんなとき『人生の目的論』という書籍に出会いました。
その本の中で特に「社会的格差は全て自分の怠惰が原因である」という一節に衝撃を受けました。
自分は学生時代、それほど勉強もせず好き放題遊んで過ごしていました。
それが原因で人生の選択肢(就職先、職種、働く場所、生活スタイル...etc)が少なくなっていることにも心のどこかでは気がついていました。
ちょうどその日のwebのニュースで自分と同い年の東大生のAさん(仮)が起業したという記事が掲載されていました。
“社会的格差”は自分の境遇としては大げさですがそれでも自分の今までの怠惰を噛み締めました。「恐らくAさんは私が遊んできた時間もずーっと勉強して知識を積み上げてきたんだろうな。なんで自分は学生時代にもっと勉強してこなかったんだ。」と心の中で嘆きました。

それがあってからは、その怠惰を巻き返すようにより熱量を込めて勉強するようになりました。
また何かしらの不満に対して自分以外に原因や責任を求めるのではなく、自分がどう動けば今より良くなるかと考えるようになりました。今までは20%くらいは相手にも非があるだろうな。とか考えて思考がネガティブな方向にズレることがありましたが「”全て”自分の怠惰が原因」という極端な表現のためか「自分ゴト」にできる・しようとする範囲が格段に増えました。
(このあたりでMNTSQの自由と責任の文化への共感に繋がる片鱗が生まれたかも知れません。)

勉強に関しては熱量頼みの非効率な学習でしたがプログラム(Python)を書くのが特に楽しかったです。
どうせなら楽しいと思えることにコミットしていこうと思いました。
より効率を上げるためにもプログラミングスクールを活用するのも良いのでは? と閃きました。
早速スクールのカジュアル面談を予約しました。
面談では、なぜ勉強したいのか、どうなりたいのかフランクに話しました。
しかし面談後に印象に残っていたのは意外にもカリキュラムや料金等ではなくスクールを運営している会社自体でした。色濃い理念を持つ会社に興味津々でした。
もう一度話す機会をいただき、気づけばカリキュラム受講ではなく採用選考に進み、最初の転職活動はその一社の選考のみを受けて2年半という期間で新卒の会社を退職し転職しました。

2社目はプログラミング教育事業

入社の決め手は理念とスマートな働き方でした。

代表がYouTubeチャンネルを運営しておりビジネスハックや会社の働き方を紹介していました。
最初にいた会社とは文化があまりにも違いました。
しかし文化を築いているルールに対して全て合理的な理由があり納得感がありました。

また理念の中では特に”他者貢献”を強く掲げていました。
ここも事業内容ともマッチしていて納得感がありました。
事業内容は未経験のエンジニアに対してのプログラミング教育でした。
転職成功率という数字の実績があり、未経験のエンジニアに対して転職の機会(大げさに言えば人生を変える機会)を提供できている。というのは”他者貢献”というキーワードに説得力がありました。

他者に貢献しつつ、会社の文化や洗練されたカリキュラムを通して自己の成長願望も叶えられるのは最高だと思いました。
が、そう思いつつも自己実現があくまでも最優先でした。
他者に貢献したいと言っている人に対してはどこまでが本心なのか疑問がありました。
もしも綺麗事ではなく本当に本心でそう願っているとしたら、こんな自分もそうなれるのか、会社の理念を体現できるのかという不安もありました。

ただプログラミングを教えるという行動の繰り返しでなんとなく分かる気がしてきました。
綺麗事のように感じていたのは今まで自分の努力に対して感謝される経験が少なかっただけでした。少々ひねくれていた自分は、会話での「ありがとう」は社交辞令的な場合もあり得るなと思うときがありました(失礼)。しかし受講生が回答するアンケートを通して考えが変わりました。アンケートは基本的にカリキュラムに対しての是非を問うものでしたが、カリキュラムというよりも私に対してバイネームで感謝の言葉が綴られた回答がありました。任意のアンケートで私が回答を確認できるかも分からない中でも感謝を形にしてくださったことは、ただただ純粋に嬉しく、自己成長以外の他者貢献というやりがいを実感できた気がしました。

研鑽の動機は自己実現が主でしたが、実際に自分の努力が誰かの幸せに繋がったと実感できると成長よりも更に嬉しいと思えました。
それからは自己研鑽に打ち込めば打ち込むほど教える内容に深みが増し、またどこかで感謝していただける。そしてやる気も漲る。という良いループが生まれました。
誰かの為に! と身構えるとどこかの一線から自己犠牲が生まれるかもしれませんが、あくまでも自分のやりたいことを優先し、その結果として誰かが求めていることと噛み合うという状態が理想の状態でした。このwin-winの状態。自分の幸せが誰かの幸せに繋がること。それが自分の中で「他者貢献」として認識されました。(この記事内ではちょっとダサいかもしれませんが「win-win理論」と呼びます)

しかし残念なことに入社して1年で業績不振で経営が傾き希望退職が募られました。
いつ倒産するか分からない状態ではwin-win理論は継続的には実現できないと考え転職先を探すことにしました。

3社目はHR領域の開発

転職してエンジニアとしてHR領域のSaaSサービスの開発をすることにしました。

選定の鍵は2社目で経験していた「スマートな働き方」でした。
会社というのはどんな会社であれ、何か世の中の課題を解決する為にあると思っています。
会社を自分に置き換えて考えると、「目指したい自分」と同じように「目指したい世界」を実現するために存在しているんだろうなと思いました。
さらに自分のwin-win理論を会社に拡大して置き換えて「会社が目指したいことにコミットすることで世の中がもっと幸せになる」その状態が最高なのでは? と思いました。
しかし会社という組織は人や情報を制御するために何かしらの「管理」をする必要があり、その動きはあまりにも複雑に見えました。また仕事をスマートにする文化やテクニックがあってもそれ以上に必須でやらなければならない管理があまりにも多いとも思っていました。本当は会社として目指したい世界にコミットしたいのに「管理」に足を引っ張られているのではと思いました。
そんな思考からHR領域を改革したいという動機で入社しました。

開発において興味のある技術(React x TypeScript)で自己実現もできるし、自分の手掛けたHR領域のサービスが会社の複雑さを軽減することで、間接的に世の中が更に良くなることに貢献できると思いました。そして今までの他者貢献という個人に対しての働きかけから枠を広げてどうしたらもっと広く影響を及ぼせるか考えるようになりました。

しかし入社後はこういった心の内を話す機会はさほどなく日々の業務に悩殺されていました。
なんとか業務は上手くこなせるようになりましたがいつしか、身の回りの業務を卒なくこなすだけの自分がいました。時間効率が向上したことで残業時間はほぼなくなり、たまたま成果が出ていたので評価もしていただけていました。プライベートな時間も十分に取れて安堵に包まれていました。

ただ心のどこかで高い目標に挑むわけでもなく、慢心しているだけなのかなとも感じていました。
改めて今の自分の働きは社会貢献に繋がっているのか? と自問しました。
このあたりからエンジニアとしての視座も少し高まり、良いコードを書くエンジニアというよりも良いプロダクトを作れるエンジニアを目指していきたいと思うようになりました。

まずは自分の属する開発組織のエンジニアが主体的にプロダクトに向き合い100%の力を発揮することを目指し、プログラムを書くだけではなくて開発手法として新たにBDDを導入したり、ユビキタス言語やADR等のドキュメントを整備し開発者体験を上げることにコミットしていました。

その中で良いプロダクトを作るという視点で自チームへ働きかけているとチームだけでは解決できないもっと根本的な課題が浮き彫りになってきて、どうしても自チームの整備・改善だけではなくて開発組織の構成や評価制度、採用にもより強く切り込んでいかないといけないのではと考えるようになりました。

しかし、それらは権限のある上位層で情報が握られており会社として何が課題で、どんな施策が検討されているのかは不透明でした。見えないながらもエンジニアの評価制度はこうあるべきではないかと提案を書き出して持っていくことはできたものの情報が共有されていない状態でその動きを続けていくのはいつか自己犠牲的な状態になってしまうのではと思いました。
(このあたりもMNTSQの自由と責任の文化に強く惹かれた要因の1つです。)

MNTSQ

そんなときに見つけたのがMNTSQでした。
会社の目指す「すべての合意をフェアにする」は、自分がwin-win理論を拡大させてHR領域に対して考えていたことと根幹は同じだと解釈しました。私はHR領域の効率化で会社がやりたいことにコミットできる世界観を目指していました。契約という文脈でもフェアな契約が一瞬でできれば同じ状態になると思います。会社は自社だけではできない社会的なインパクトを生むためにも他社と契約を通してシナジーを生みたい場面があるはず。ですがその契約の度に毎回法務リスクを入念にチェックして、お互いの会社が納得できるラインを探り合っていてはビジネススピードが落ち会社としてもやりたいことにコミットできなくなると思います。
HR→契約という異なるフィールドでも自分が目指したいことに向き合っていけるのではと思いました。

上記は特にカジュアル面談を受けて解像度が急激に上がりました。
MNTSQが合意をフェアにできれば企業はよりビジネスにフォーカスして目指したい世界の実現のために動くことができ、それが実現可能であると納得してしまう引力がありました。笑

目指す目標に納得感があり、何より自分のやりたいことに自由と責任の文化の上でチャレンジできることが一番の魅力でした。また今まではエンジニアの垣根を超えて染み出すことができなかった領域にも足を踏み入れていけることが”推奨”されていることへの驚きもありました。いままでのキャリアの中で心境の変化にも紆余曲折があったからこそMNTSQが魅力的に見えたのかなと思っています。

最大限の自由を与えられるが故に一切言い訳ができないプレッシャーはありますが、自分なりに良いプロダクトを作れる理想のエンジニアを目指しながら、全ての合意をフェアにすることに挑戦していきたいです。

以上、最後まで読んでくださりありがとうございました。
もしあなたもMNTSQに少しでも興味を持っていただけたようでしたら、是非私たちとお話ししましょう!
お気軽にご連絡ください。


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